「あさきゆめみし7」(大和和紀)

行間を鮮やかに描出する、心憎いまでの演出

「あさきゆめみし7」(大和和紀)
 講談社漫画文庫

匂宮の情熱的な愛情に
身を任せる浮舟だが、
同時に薫の献身的な愛も
拒みきれない。
その板挟みに悩んだ彼女は
自ら命を絶つ決意をする。
比叡山の横川の僧都一行が
行方不明となっていた
浮舟を発見する。
意識を取り戻した彼女は…。

あさきゆめみしも全7巻で完了です。
この第7巻でも作者・大和和紀は
漫画にしかできないことを
しっかり行っています。
筋書きはそのままに、
宇治十帖編を締めくくるのに
相応しい演出を行い、
源氏物語に
決着の形をつけているのです。

一つは浮舟の入水の場面です。
原文では、「蜻蛉」の冒頭が、
「かしこには、人々、
 おはせぬを求め
 騒げどかひなし。」
で始まり、
帖と帖の間で
事が起こった形にしていて、
詳細を明らかにしていません
(この手法は玉鬘の受難や
源氏の崩御などでも見られます)。

本書はここも丁寧に描かれています。
浮舟が宇治川の流れに向かい、
心の中の思いを吐露し、
そして再び濁流の絵が現れます。
露骨な場面を避けながらも、
原文に書かれていない行間を
鮮やかに描出しているのです。
見事としか言い様がありません。

もう一つは助け出された浮舟が
過去を振り返り苦悩する場面です。
作者はこの部分について
大胆な創作を試みています。
なんと浮舟の見る夢の中に
光源氏を登場させているのです。
そして源氏にこう語らせています。
「愛に泣き、
 恋に苦しんだ者こそが
 すべてのものからとき放たれて
 より広やかな
 より豊かな愛の中に
 生きることができるのだから」

宇治十帖編が
光源氏の物語から連続していることを
わかりやすく示した形です。

そしてもう一つは最終場面です。
巷間言われているとおり、
源氏物語の終末は、
大長編の完結としては
誠にあっけなく終わっています
(実は決して中途半端な終わり方では
ないのですが。そのことについては
後日、別の記事で触れる予定です)。

本書はこの部分も
華麗に描かれています。
薫の心の迷走と浮舟の心の逡巡を
細やかに提示し、
二人の叶わなかった恋愛の行方を
宇治川の流れに例えて
表現しているのです。
「その日こそわたくしたちは
 夢の浮き橋を渡り…」
と、
最終帖の題名を意味の解釈を語り、
「わたくしにはわかっている
 いまは濃い川霧に包まれている
 この流れが
 やがては晴れやかな
 空の下に出るように
 川は流れ…
 走り…
 そしてわたくしもまた
 すべての川の行きつく先に
 たどりつけるだろう」
と、
成長した浮舟の胸中を語り、
「走り去る流れがいつか
 光に満ちた大海に
 注ぐごとくに…」
と結びます。
しっかりと完結しています。
あえて大長編を第1部と
第2部「宇治十帖編」とに分け、
それぞれに相応しい結末を
用意したのです。
心憎いまでの演出です。

源氏物語はそれ自体で完成されている、
世界に誇るべき古典文学です。
その原型を崩さずに、
可能な限り補完して作品の良さを
一般人にわかりやすく伝える。
これこそ漫画にしか
できないことなのでしょう。

私が力説するまでもなく、
巻末を見ると、文庫版でさえ、
初版が2001年、2015年で第41刷、
売れに売れた漫画です。
やはり、素晴らしいのです。

最近では鬼を滅する物語が
漫画として一世を風靡していますが、
一時の盛り上がりで
終わる可能性もあります。
息の長い漫画としてこの
「あさきゆめみし」はいかがでしょうか。

(2020.12.12)

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA